2025/09/13 日本的霊性を読んだけど・・・
- 須藤 悟
- 9月13日
- 読了時間: 3分
更新日:9月16日

「日本的霊性 完全版」 著者 鈴木 大拙 発行 株式会社KADOKAWA を図書館からお借りして読んでみましたが、もうなんだかよくわかりませんでした。こんな感想文は0点ですが、正直な感想です。高校の数学で、「微分」は微かに分かった、「積分」は分かった積もりと、どうでもよいことを習いましたが、まさに微かに読んだ、読んだ積もりでした。分からないという事が分かった、これも高校の授業で習いましたが、私は大事なことは覚えていないタイプなんだとがっかりしてしまいます。
それはそれとして、気に入った文章もありましたので、抜粋してみたいと思います。402ページです。
「ーー 心の持ちようは正しい方にもってほしいものである。消極的な考えよりも、積極的に自分の身の振り方を決めてゆくということは、単に宗教的意味からではなく、一般の日常の倫理的心得としても大事であろう。非常時であるから死を恐れないとか、平和な時であるから死を懼(おそ)れるとかというように、問題を死の上に注ぐことをしないで、平時でも、戦時でも、また常時でも、非常時でも、何でも構わない、すべきことはいつでもあるのであるから、そのすべきことに三味(サマーディ)になって、それに成りきってその外のことを考えない、結果は死ぬことになるかも知れず、生きることになるかも知れず、苦しいかも知れず、あるいはそうでないかも知れない。そういうことはどうでもよいので、すべき仕事をする、これがいつでも人間の心構え、集団的生活をして居るわれらの心構えとして一般に妥当性をもつものである。非常時とか、平時とかというような区別をしないでよいのである。禅者の言葉に「平常心是道」(びょうじょうしんこれどう ふだんの当たり前の心こそ道である。馬祖の言葉。)ということがある。また「無事於心、無心於事」【心に無事で、事に無心なれ】という言葉があるが、これでなくてはならんのだ。ここには生死というこはないのである。何でもすべきこと、そのことに成りきれば、無心である、無心であれば、無事である、それが平常心である。そこに道がある。この道さえ踏んでゆけば、非常時には非常時であり、平時には平時である。何にも非常時だから、特にこういう覚悟をしなければならぬとか、非常時が済んでしまえば、非常時にもっておった心はすててよい、また平時のだらりとした心になるのだということがあってはならぬ。非常時もなく平時もなくいつも坦々如として、また淡々如として、行くところ適わざるはなしということでなくてはならぬ。それで始めて本当の安心が出るわけだ。これが「莫妄想」である。」
と、あります。難しいのですが、そこに我はなくただやるべきこと、やると決めた仕事に取り組め、無心で取り組め、というようなメッセージが込められていると解釈をしました。どうでしょうか?
時間が経ってから読み返すと解釈が違ってきたり、意味がわからなかったところがわかったりとありますので、できればまた機会をつくり読んでみたいなと思いました。




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